「焼き鳥が美味しいいお店があるんだ」って言う男子、焼き鳥は大体のお店が美味しいって知っていて言っているのか
美味しいお店。それを知っていることは素晴らしいことだ。
食欲は全ての高等生物に存在し、新陳代謝を維持する為に充分なエネルギーの取り入れるのに役立ち、消化管と脂肪組織と脳との間の厳密な相互作用で調節される。つまり生きるために人は食事をする。美味しいとされるお店で食事することは安易に「喜び」と言えるだろう。
男性が女性をデートに誘うとき、食事と言う生命の維持に必要な活動の時間の共有を口実に誘うことは多い。高等生物である女性も食事はするため、誘いを断られる可能性が低いからだ。
ステーキ、お寿司、うな重、チーズダッカルビ、ローストビーフ、小籠包、懐石料理…美味しいものは世の中にたくさんある。世の中は食べ物に溢れている。この自由な世界で何を食べてもいい。資本主義に飼いならされ、自由を奪われた私たち人類の勝ち取った自由。そう、それがSYOKUJI THE EAT
高校を卒業したあたりからだろうか。美味しいお店の話をする機会は確実に増える。「〇〇にある〇〇専門店の〇〇が絶品だった」とかそんな会話をする。これが男同士なら「その〇〇って、〇〇が美味しいあのお店の近くの?」と、相手の出してきたカードの攻撃力を上回るカードを出そうと必死である。美味しいお店をたくさん知っている方が偉い。より美味しいお店を知っている方が偉い。負けられない戦いがそこにある。美食ハンターか。男女の会話なら「えー、そうなんだ?美味しそう!今度連れて行って?」と食費を抑え、美味しいものを捕食しようとしてくる。美食ハンターか。
高等生物であり、上位の美食ハンターである僕は「焼き鳥が美味しいお店があるんだ」この言葉を耳にすると震える。その言葉に恐怖を覚え、鳥肌がたち、心臓の音は大きくなり、心はチキンハートに。鳥取。焼き鳥が美味しいお店?あ?それってもちろん鳥貴族の貴族焼きモモのタレを超えるクオリティ何だろうな?その発言をした物のIQはいかほどのものなのか、果たして高等生物なのかを疑うレベルである。
この言葉が一見、よさそうな感じに思えるのは、我々美食ハンターの深層意識に、いや、グルメ細胞に問題がある。
焼き鳥 = 美味しい
美味しいお店を知っている = 素晴らしい
この関係式が刷り込まれているから「焼き鳥が美味しいお店がある」という言葉は、例えるならご飯にカレーをかけたような魔法の言葉に聞こえる。
が、実際はそうではない。もう一度式をみて欲しい。
焼き鳥 = 美味しい
美味しいお店を知っている = 素晴らしい
いかがだろうか。これ、下の式に上の式が代入できるではないか。つまり、美味しいは焼き鳥に変換することができ、この式はこうすることができる。
焼き鳥店を知っている = 素晴らしい
素晴らしい?か。。。?これはもはや、なんの素晴らしさもないのではないか?ただ、お店を知っているだけだ。ググれば腐る程出てくるし、どの焼き鳥やさんに入っても結果は大体が同じことになる。つまりこれはご飯にカレーをかけた外見を装っているが、実際は白飯オンリーである。
お分かりいただけただろうか。「焼き鳥が美味しいお店があるんだ」と言ってデートに誘ってくる奴は、美味しい食事で喜びを得ようとしているのではない。ただ、あなたと食事を通して時間を共有したい。好きです付き合ってください。いや、付き合わなくてもいいので今夜一緒に過ごしてください願いしますと言ってるのよ。
美女と食事がしたい
— ガルガリオン (@Garugarion) 2018年2月4日
コンサルティング会社 → 新聞社でweb制作。写真とエンジニアのスキルを使用してプロジェクトに従事。